こんにちは、あっきーです!
主には、「正しいこと」からの解放です。
すべてのストレスは、どちらが正しいかと考えることから起こります。正しいことへのこだわりが、自分をつらくさせます。「正しいことはラク」という思い込みが、「正しい」ことのしんどさを生み出しています。
「いいこと」と「悪いこと」という発想は、人生の中にはないです。客観的にただそれが起こっているというだけです。
50代までは、優等生的に、正しいことだけ追求してきました。60代で、やっと「正しいこと」から解放されます。
「正しいこと」は十分にやってきたので、60代からの人生は「正しいこと」にこだわらずに生きていいです。
だからといって、悪いことをすればいいということではないです。「正しいこと」から解放された向こう側に、もっと自由な広い世界があります。その世界に身をゆだねていけばいいです。
50代までは誰しも優等生です。
「正解」とか「正しさ」を求めてきました。目に見えない「正しさ」の道がなんとなくあって、そこからはずれたところは道ではないと思い込みます。
実態は、道をはずれても、また道があります。それが「自分の道」です。道は無限にあります。そのことに気づくのが60代です。
このブログでは60代でしなければいけない50個の中から厳選した10個を紹介していきます。
このブログを見て勉強になった、為になったと思った人はコメントください。
Contents
関心の持てる人と持てない人がいるだけ
人間は「何かに関心を持てる人」「何事にも関心が持てない人」の2通りに分かれます。
「人生、面白いことないよね」と言っている人は、何ごとにも関心を持てない人です。
一番つまらないのは「景色がきれいですよ」と話を振った時には、「うん、だから?」と言われることです。
常に「これはなんだろう」というふうに興味を持つことが大切です。
答えではなく課題を見つけることで、人は死ぬまで楽しむことができます。60代は「関心の持てる人」と「持てない人」との分かれ目です。子どもの時は何もわからないから、誰もが関心を持つことができました。大人になると、だんだんわかることが増えてきます。
老人化したつまらない60代は、「それはつまり、こういうことなんだよ」と、すぐに答えを出して安心しようとします。
答えではなく、課題で面白がれることが、関心を持てるということです。
▼何かに関心を持とうとするより、関心を持てる人間になること
- 人間は「何かに関心を持てる人」「何事にも関心が持てない人」の2通りに分かれる。常に「これはなんだろう」というふうに興味を持つことが魅力がある60代になっていく。答えではなく課題を見つけることで、人は死ぬまで楽しむことができる。
- 60代は「関心の持てる人」と「持てない人」との分かれ目。「人生、面白いことないよね」と言っている人は、何ごとにも関心を持てない人。何かに関心を持とうとするより、関心を持てる人間になること。
学ぶ大人になる
1人は「大人」、もう1人は「老人」です。
これは個人差がくっきり分かれます。
見た目の違いは、「その人が勉強しているかどうか、学んでいるかどうか」で決まります。
- 「学んでいる人」は大人です。
- 「私は学んだ」と言う人は老人です。
「学んだ」と言う人は、これから学ぼうとしていないです。今まさに進行形として学んでいる人が大人です。1回学んだら終わりではないです。常に継続状態でなければ、学びとは言わないです。
「以前こうやって学んだけれども、よくよく深めてみると、こういうことかもしれないな」ということを学び直してください。
知らない人は「知らないから教えてください」と言います。中途半端に知っている人は、ここで逆転されます。一生懸命で頭がよくて優等生な人ほど、自分が知らないことがバレるのを恐れています。
知らないことを知っていくことが、「大人になっていくということ」です。
▼「学んでいる人」は大人。「私は学んだ」と言う人は老人
- 60代は2通りの人しかいない。1人は「大人」、もう1人は「老人」。見た目の違いは、「その人が勉強しているかどうか、学んでいるかどうか」で決まる。「学んでいる人」は大人。「私は学んだ」と言う人は老人。
- 「学んだ」と言う人は、これから学ぼうとしていない、今まさに進行形として学んでいる人が大人。
思いやりを表現する
思いやりのある人は「大人」です。
ここで微妙な問題があります。人から「思いやりがない」と言われても、自分では「思いやりがある」と思っている人がいます。その人は思いやりを表現できていない人です。
思いやりには2段階あります。
- 1段階目は、「共感」すること
これをしたら相手はイヤだろうなとわかるのが共感力です。これを言ったら悲しい思いをするだろうな。椅子にドカッと座ったら隣の人がびっくりするだろうなと感じられることです。 - 2段階目は、「共感」を言葉で相手に伝ること
思っただけで伝えていなければ、思いやりとは言えないです。言葉や行動になった時に、初めて思いやりと呼べます。英語を覚えるのと同じです。体験学習によって獲得していくものです。まずは共感力をつけて、次はそれを行動や言葉に置きかえ、学習してください。
▼60歳になっても思いやりがない人は「老人」、思いやりのある人は「大人」
- 60歳になっても思いやりがない人は「老人」、思いやりのある人は「大人」。思いやりには2段階がある。
- 第1段階目は、「共感」すること。これをしたら相手はイヤだろうなとわかるのが共感力。
- 第2段階目は、「共感」を言葉で相手に伝えること。思っただけで伝えていなければ、思いやりとは言えない。
お金管理よりも健康管理をする
会社に再雇用されても、収入は激減します。
次の会社に働きに行っても、今までの給料は到底もらえないです。
年金がもらえるようになるのも少し先です。そんな時に、万が一病気になったら入院費を払えるのだろうかと心配になります。サラリーマン時代も、お金のことを心配していました。
会社を辞めると、よりリアルにお金のことを心配するようになります。サラリーマン時代は、お金のことは会社がなんとかしてくれるだろうと思って、それほどお金のことを考えなくてもごまかせました。
しかしお金よりも、考えた方がいいのは健康管理です。
どんなにお金の管理をしても、健康を害したら、結果、お金はなくなります。お金で苦労しない人は健康管理している人です。
お金のことを考えるのと同じレベルで健康のことを考えると、かなりの健康管理ができます。
お金のことなら、あれこれリアルに考えます。健康のことになると、突然、「自分にはそういうことは起こらない」とリアルに考えなくなります。「なったらなった時のこと」「病院のお世話になったこともないし」と、のんびり構えてしまいます。
▼どんなにお金の管理をしても健康を害したら、結果お金はなくなる
- 60歳で定年退職すると定職収入はなくなる。会社に再雇用されても、収入は激減。考えた方がいいのは健康管理、どんなにお金の管理をしても、健康を害したら、結果、お金はなくなる。
- お金で苦労しない人は健康管理している人。お金のことを考えるのと同じレベルで健康のことを考えると、かなりの健康管理ができる。
勉強のモチベーションは3段階ある
勉強のモチベーションには3段階あります。
- 第1段階は、「見返り」の勉強
学生時代は、「それをすると試験に通る」「先生・親にほめてもらえる」「みんなから『凄いね』と言われる」という見返りです。会社に入ると、「英語の勉強をすると役職が上がる」「手当が出る」と、報酬にもつながります。 - 第2段階は、勉強しているうちに「面白く」なること
それは、見返りから離れます。見返りがなくても、これはこれで面白いとなるからです。「そんなことして何になるの?」と聞かれて、「何にもならないけど面白いからしている」というモチベーションです。 - 第3段階は、勉強して「人格」が向上すること
これこそが勉強していくことの最上位メリットです。この段階になると、面白いということも、どうでもよくなります。淡々としてきます。これは習いごとでも同じです。
何かしら続けていくと最初は分からなかったものが、コツを掴めるようになります。ふっとできる瞬間があります。そうすると、今度は面白くなってきます。
続けていると、いつの間にか精神的な変化が生まれます。精神的な変化まで来ると、「面白いとかそんなことはどうだっていいや」という世界になります。
見返りを求めて勉強し続けていくうちに、モチベーションがどんどん変化していきます。
▼、勉強すると「人格」が向上。これこそが勉強していくことの最上位メリット
- 勉強のモチベーションは3段階。
第1段階は、「見返り」の勉強。学生時代は、「先生・親にほめてもらえる」という見返りです。会社員時代は収入が上がったり、周りから賞賛してもらうこと。 - 第2段階は、勉強しているうちに「面白く」なっていく。見返りがなくても、これはこれで面白いとなるから。
- 第3段階は、勉強すると「人格」が向上。これこそが勉強していくことの最上位メリット。この段階になると、面白いということも、どうでもよくなる。
目的は、やってから気づく
目標達成率を気にして、より早く100%に近い目的を達成することが1番大切でした。
目的意識がガチガチの人は、目的なしに人間は行動しないと考えています。
実際は、いろいろなところに行くと「そうか、ここへ来たのはこれを見るためだったんだな」と、後でわかります。これが「感動」です。
事前にわかっている目的は、達成されても「ああそうですか」という感じで終わります。
逆に、目的なしにしたことで、「そうか、ここへ来たのは、これに出会うためだったんだな」と、後でわかった時の感動は大きいです。
60歳まで目的意識で頑張って生きてきた人は、目的から解放されることによって、もっと大きな目的を持つことができます。ビデオを借りに行って、借りたいビデオがなくて、仕方なく借りたビデオが大当たりだったということがよくあります。
事前の目的意識がないからです。
自分で「この仕事はこうであるに違いない」というイメージを固めてしまっているからです。60歳までは、まじめで一生懸命な人や仕事ができる優等生ほど、目的意識というレールの上を走ります。
▼事前にわかっている目的は、達成されても「ああそうですか」という感じで終わる
- 60歳からは、目的からの解放。60歳までは何をするにも目的があって、いかに目的を達成するかが勝負だった。目的意識がガチガチの人は、目的なしに人間は行動しないと考えている。実際は、いろいろなところに行くと「そうか、ここへ来たのはこれを見るためだったんだな」と、後でわかる。これが「感動」。
- 事前にわかっている目的は、達成されても「ああそうですか」という感じで終わる。
モノより体験の多い人が、幸福感を感じる
子どもは「あれ買って」「これ買って」と言います。言われたモノを全部与えていると、その子どもは幸福感を持たなくなります。子どもには体験をさせることです。
子ども時代の体験量が多い子どもは、幸福感を多く感じます。
人間は、60歳を過ぎると1歳からまたスタートします。60代では、モノを持っても幸福感は得られないです。モノにかけるお金や労力を体験にかけます。
モノを減らして体験を増やしてください。
モノを売ってでも、体験を増やすというやり方で身軽になっていくことが大切です。
よく美術館に「忙しくて行けないので、カタログだけ送ってください」と、問い合わせる人がいます。美術館的には、カタログが1冊でも多く売れた方が売上が上がっていいです。
それでも、「カタログを見て、見た気分になられても困るんだけどな」という切ない気持ちになります。同じ料金があるならば、カタログだけを買うよりも、往復の運賃を払って、カタログは買えなくても美術館でナマの作品を見ておく体験が、良い経験になります。
▼60代はモノを持っても幸福感は得られない。モノを減らして体験を増やしていく
- 親が子どもをダメにする1番の方法は、欲しいモノを全部与えること。言われたモノを全部与えていると、その子どもは幸福感を持たなくなる。
- 子どもには体験をさせること、子ども時代の体験量が多い子どもは、幸福感を多く感じる。これは子供だけでなく大人も一緒。60代では、モノを持っても幸福感は得られない。モノを減らして体験を増やしていく。
お金は自分ではなく相手に使う
お金は、「モノ」より「人」に使う方が幸福感を得られます。この「人」とは、「自分」と「他人」です。
自分に使っても、他人に使ってもいいです。
一番幸福感を感じられないのは、モノを買ってしまうことです。
モノでは、どこまでいっても幸福感は得られないです。
子どもの時は、自分のお金がなくて、親からもらうおこづかいの中で必死に駄菓子屋で遊びました。結局、モノが楽しいのではなく、「駄菓子屋で遊んでいる体験」が楽しいです。それは予算に限りがあるからです。
大人になると、買えるモノが多くなります。そうすると、ついモノを買って幸福感を得ようとしまいがちです。それよりは、人にお金を使った方が損した感がなくなります。
ほとんどすべての人が損した感を持つのは、「この人にご馳走してあげるお金で、本当は欲しかった物が買えたのに」という比較が起こるからです。「この人にご馳走してあげるかわりに、このモノなら残るけど、ご馳走したら何も残らない」と考えると、損した感が生まれます。
しかし本当は逆です。人間は、モノを買うかわりに「ご馳走してあげた」ことで幸福感が湧いてきます。
モノが残ることは、お得感はあっても幸福感はないです。「お得感」と「幸福感」は連動しているのではなく、相反するものです。
お金持ちが寄付するのは、幸福感が生まれるからです。
▼「お得感」と「幸福感」は連動しているのではなく、相反(あいはん)するもの
- お金は、「モノ」より「人」に使う方が幸福感を得られる。この「人」とは、「自分」と「他人」。自分に使っても、他人に使ってもよい。
- 一番幸福感を感じられないのは、モノを買ってしまうこと。モノでは、どこまでいっても幸福感は得られない、モノが残ることは、お得感はあっても幸福感はない。「お得感」と「幸福感」は連動しているのではなく、相反(あいはん)するもの。お金は自分ではなく相手に使うべき。
ガマンの努力より、成長の努力をする
ただし、60代からは、努力の種類を変える必要があります。
- 50代までは、ガマンする「忍耐に努力」
- それに対して、60代は「成長のための努力」をしてください。
どちらも努力です。
「私は努力しています」と言う人の多くは、ガマンの努力です。それでは、60代からは幸福感にも、その人の成長にもつながらないです。「こんなに努力(ガマン)してるのに」という不満が残ります。
60代では、「いい努力」にスライドしていくことが大切です。
60代からは成長を目指します。
成功は、常に他者との比較の中にあります。「他者に勝とうと思っても、人間は頑張るじゃないですか」という意見は、若干違います。他者に勝つために、他者を引きずりおろすことによって勝つという勝ち方があります。その方がラクだからです。
ネットの中では、成功の競い合いが起こります。誰かうまくいきそうな人がいて負けそうな時は、自分が頑張ればいいです。情報化社会では、他者を引きずりおろすことで自分が成功をおさめようとしがちです。情報化社会は、比較が安易にできる社会とも言えます。
60代からは、他者と戦うのではなく、昨日の自分と戦ってください。
▼60代では「いい努力」にスライドしていくことが大切、成長を目指す
- 努力は悪いことではない。ただし、60代からは、努力の種類を変える必要がある。50代までは、ガマンする「忍耐に努力」、それに対して、60代は「成長のための努力」を。これはどちらも努力。
- 60代では、「いい努力」にスライドしていくことが大切、60代からは成長を目指す。「成功」と「成長」は違う。成功は、他人よりも勝つこと。成長は、昨日の自分よりも今日の自分が勝つこと。60代からは、他者と戦うのではなく、昨日の自分と戦っていく。
リアクションのスピードが速い人は、若々しい
歳をとると、だんだん反応スピードが遅くなってきます。
「〇〇に行きますか」「ああ、行きましょう」と、ノータイムですぐ言えるか。1秒あいてから「じゃ、行くか」と言うかの違いです。同じイエスの時に1秒あくかどうかが、老人の60代と大人の60代の分かれ目になります。
たとえノーでも、「〇〇行きませんか」「行かない。嫌いなんだ」と即言う人と、イエスでも「ああ・・・行く」と1秒あいて言う人、くっきり分かれます。
イエスでも、ノーでもリアクションを早くすると、反応がよくなります。
会話のリズムにのっていけます。
頭で考えていると、反応が遅くなります。正しさにこだわる人も、反応が遅くなります。体で直感的に条件反射として反応することで、リアクションが早くなります。60代で反応が遅くなってしまうと、70代、80代はどんどん遅くなります。60代は、大きな分岐点です。
「人生100年時代」と言われる現代では、残りの人生はまだ40年あります。医学がどんどん進んでいるので、今60代の人が100歳になるころには「人生120年」と言われる時代になります。
▼体で直感的に条件反射として反応することで、リアクションが早くなる
- 「あの人は若々しいね」と感じるのは、見た目よりリアクションの速さ。歳をとると、だんだん反応スピードが遅くなっていく。
- 頭で考えていると、反応が遅くなり、正しさにこだわる人も反応が遅くなる。体で直感的に条件反射として反応することで、リアクションが早くなる。60代で反応が遅くなってしまうと、70代、80代はどんどん遅くなる。60代のうちから、リアクションを早くしていくこと。
まとめ
中谷 彰宏 (なかたに あきひろ)】
- 関心の持てる人と持てない人がいるだけ
- 学ぶ大人になる
- 思いやりを表現する
- お金管理よりも健康管理をする
- 勉強のモチベーションは3段階ある
- 目的は、やってから気づく
- モノより体験の多い人が、幸福感を感じる
- お金は自分ではなく相手に使う
- ガマンの努力より、成長の努力をする
- リアクションのスピードが速い人は、若々しい