こんにちは、あっきーです!
しかし、見つからないからといって焦る必要はないです。
「機が熟す」という言葉があるように、やりたいことには自分の価値観や能力、自分を取り巻く状況などがマッチしたときに出会うものです。
やるべきことは、「やりたいことに偶然出会える可能性を高めるための物事の関わり方」という、自分自身のチューニングです。
この本では、やりたいことに出会えるように、「自分を活かす道を知る」「固定観念から抜け出す」ための思考のヒントを27個紹介しています。今日は、特に大切な8個を解説していきます。
やりたいことが見つからない方におすすめです。
勉強になった、もっと知りたいと思った人はコメントください。
Contents
「やりたいことがないのは悪いこと」という考えをやめてみる
実際に、誰もそんなことは言っていないはずです。
ただ、世の中の成功者は「やりたいことをやれ」「夢はでっかく持て」と言う人は多いです。だからなんとなく「やりたいことがない自分はみじめだ」とか「やりたいことを探さなきゃいけない」などと勝手に自分を追い詰めているだけです。
- 近代以前の庶民(しょみん)は、ほとんどが農民でしたが、 「稲作(いなさく)は自分がやりたいことだったのか?」と疑問に思うことはなかったと思います。生きていくのに必要だから、農民の生活を送っていたのだと思います。
昔の人は現代と違って職業の数が少なく、身分が固定されて職業選択の余地もなかったです。そのためやりたいこと探しなど考えなくても良かったです。それと比べて、今は「自由に選べるからこその迷い」という、非常に贅沢な悩みを抱えています。
もちろん、現代を生きる僕たちの悩みを、近代以前の価値観と比べるのは飛躍しすぎだとは思います。
ただ、ここで言いたいのは「やりたいことが見つからないから不幸」という状態などはそもそも存在していないです。
いまの人が勝手につくり出した価値観で、もともと必要なかった悩みです。
僕たちは本来、やりたいことのない日常に焦燥感(しょうそうかん)を覚える必要などないです。「やりたいことは特にない」というのが当たり前であり、人間本来の状態と著者の午堂(ごどう)さんは考えています。大人にとって「やりたいことがない」のは不幸ではなく、むしろ平穏である証拠です。
人は、やりたいことがなくても、やりがいを感じられなくても、幸福に生きることができます。
▼大人にとって「やりたいことがない」のは不幸ではなく、むしろ平穏である証拠
- 「やりたいことが見つからないから不幸」という状態などはそもそも存在せず、いまの人が勝手につくり出した価値観であり、もともと必要なかった悩み。大人にとって「やりたいことがない」のは不幸ではなく、むしろ平穏である証拠。人は、やりたいことがなくても、やりがいを感じられなくても、幸福に生きることができる。
- だから「やりたいことに出会えれば理想、出会えなくても問題ない」。
「やりたいことを探す」ことをやめる
しかし、探し回るほど余計に道に迷う原因になります。
そのためあえてやりたいことを探す必要はないです。
理由は3つあります。
- 1つ目の理由は、 「探しても見つからないケースがほとんど」だから。
大人は子どものような好奇心は持てないため、未知の分野で直感的にやりたいことが見つかることなどは、ほとんどないです。やりたいと思えることは、「やる前からやりたいと思える」ものではなく、実際にやってみて「これは面白い」と感じた経験を通じ、「それと同じ要素を持つコレは、面白そうだからやってみたい」などと思います。 - 2つ目の理由は、「やりたいことを探すと足元がおろそかになる」から。
「こんなことをやっていていいのだろうか」という迷いがあると、仕事にも勉強にも腰が引け、中途半端に取り組むことになり、パフォーマンスは下がります。 そんな迷いを払拭(ふっしょく)するには「とりあえずいまはこれに全力投球しよう」という覚悟と割り切りが必要です。そうやって打ち込んでいると、不思議と次の課題が見えてきます。そして、それが転機となることもあります。 - 3つ目理由は、「“やりたいことをやらなければ”と焦って、視野を狭め、自分を追い詰めてしまう」から。
たとえば、会社勤めを辞めたいあまりに、フランチャイズの募集広告を見て「これだ!」などと浮き足立ってチャレンジしてみたものの、やはり儲からずに撤退して、退職金をフイにしてしまった...。こういう話は珍しくないです。無理やり「やりたいこと探し」をしてはどこかでひずみが生まれます。
それよりも、「これをやりたいな」と思えるようになるまで機が熟すのを待ってください。
▼やりたいことを探し回るほど余計に道に迷う原因になるので、あえてやりたいことを探す必要はない
- やりたいことを探し回るほど余計に道に迷う原因になるので、あえてやりたいことを探す必要はない。
- 理由は3つ。1つ目の理由は、「探しても見つからないケースがほとんど」だから。2つ目の理由は、「やりたいことを探すと足元がおろそかになる」ということ。3つ目は、「“やりたいことをやらなければ”という強迫観念が焦りを生み、視野を狭め、自分を追い詰めることがある」から。「これをやりたいな」と思えるようになるまで機が熟すのを待つべき。
「自分のために仕事する」という考え方をやめてみる
つまり、仕事は他人の要求に応じてやるものであり、他人が喜んでくれるからこそお金をいただけるわけです。
だから、突き詰めていけば他人のためにするのが仕事です。
仕事の出来不出来やクオリティなどを評価するのも、自分ではなく他人です。
「自分はこんなに頑張っている」と声を大にして主張しても、それを認めるかは相手・依頼人・顧客次第です。
仕事は自分のためではなく、他人のためにやるものだ。評価は自分ではなく他人がするものだ。そう言うと、仕事はやらされるものだという印象が強くなり、やりがいが奪われてしまうように感じる人もいるかもしれないです。
しかし、仕事のやりがいを占める大きな要素は「納得感」ではないです。「いま自分ができる最高の仕事をした」と納得できれば、他人からの評価はどうであれ、それなりに満足することができます。
▼仕事は他人の要求に応じてやるものであり、他人が喜んでくれるからこそお金をいただける
- 仕事とはお金をいただけることで成立。つまり、仕事は他人の要求に応じてやるものであり、他人が喜んでくれるからこそお金をいただける。だから、突き詰めていけば他人のためにするのが仕事。そもそも仕事には、自分のやりがい以前に、「向き不向き」というものが。難易度や専門性というより、適性の問題。
- そのため自分の特性・資質をよく知り、それにマッチした職業の選択眼を磨くことが大切。 そして、もし明らかに自分には向いていない仕事だと気づいたら、辞めて次に行けばいいだけ。
「比較」をやめてみる
他人と比較して優越感(ゆうえつかん)を得ないと自分が満たされないというのは、常に外部に依存した状態であり、自分自身が非常に脆弱(ぜいじゃく)になってしまいます。
そこでいったん冷静になり、その人に追いつき、追い越したところで、自分が幸福に感じるかどうかを考えてみてください。
重要なのは、他人ではなく、自分の個性を見つけて伸ばすことにフォーカスすることです。
個性を発揮すれば、 唯一無二の存在になれるからです。自分の個性を出して自分の領域で勝負している人は、どっちが偉いかという比較の対象にはならないです。
もう一つ重要なのは、自分の行動原理を他人に対して論理的に説明できるぐらいに明確にすることです。「自分はこのような信念に基づいて行動している」という確信があれば、卑屈になったり妬(ねた)みの感情を引きずったりすることはないです。
幸福は他人との勝ち負けでは決まらないです。
他人の成功は自分の人生と無関係です。人が大切にしていることはそれぞれ違っており、他人との比較の延長線上に幸福な人生はないことを認識してください。
それができれば、誰かに対して批判的になったり憤り(いきどおり)を感じることもないです。そして、平穏な感情で生きられます。
▼重要なのは、他人ではなく、自分の個性を見つけて伸ばすことにフォーカスすること
- 人と比べることに意識が向きすぎると、自分の優位性を誇示しようとするあまり、自分が本当にやりたいことや求めていたことが見えなくなりがち。重要なのは、他人ではなく、自分の個性を見つけて伸ばすことにフォーカスすること。
- もう一つ重要なのは、自分の行動原理を他人に対して論理的に説明できるぐらいに明確にすること。幸福は他人との勝ち負けでは決まらないし、他人の成功は自分の人生と無関係。人が大切にしていることはそれぞれ違っており、他人との比較の延長線上に幸福な人生はないことを認識すること。
「給料が上がらない」という不満をやめてみる
そして国内の人口はどんどん減少しますから、経済成長どころかGDPは下がっていく可能性が高いです。つまり、日本で現役世代向けに商売をしている企業のほとんどは斜陽化(しゃようか)リスクにさらされるということです。
そして会社が儲からなければ、給料を上げる余裕もなくなってきます。
- 住宅メーカーや保険代理店のトップ営業パーソンの中には、年収1000万円以上稼ぐ人はザラにいます。
- 保険の場合、 商品単価は小さいですが、利益率が格段に高く、継続による累積効果(るいせきこうか)があります。
利益率が高い商品や市場占有率が高い商品を扱っている会社、競合が少ない独自ポジションにいる会社、個人の努力が報酬に連動する給与システムの会社に勤めれば、昇給の可能性は十分にあります。
給与に不満があるのなら、上がる見込みはあるのか、それとも見込みは薄いのか、冷静になって考えてみてください。
見込みが薄い場合、どうしても給料を上げたいなら、転職して会社や業界、職種を変えるしかないという結論になります。
しかし安易な転職では、よほど能力が認められなければ、むしろ年収が下がってしまうリスクもあります。特に、給与が年功序列的に上がっていく会社に勤めていた人が転職をすると、給与が大幅に下がってしまうケースが一般的です。
そこで転職する前に、まずは人材紹介会社の転職エージェントに相談に行ってみたり、ヘッドハンティング会社に登録してみたりするのをおすすめします。
▼給料が上がる見込みが薄い場合、転職して会社や業界、職種を変えるしかないという結論に
- 給与に不満があるのなら、上がる見込みはあるのか、それとも見込みは薄いのか、冷静になって考えてみる。給料が上がる見込みが薄い場合、転職して会社や業界、職種を変えるしかないという結論に。
- しかし、安易な転職では、よほど能力が認められなければ、年収が下がってしまうリスクも。そこで転職する前に、人材紹介会社の転職エージェントに相談に行ってみたり、ヘッドハンティング会社に登録してみたりするのをおすすめ。実際に転職に踏み切るかどうかを決断するのは、そのあとでも遅くはない。
「あきらめない」をやめてみる
あきらめるとは「幸福に向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」ことです。
「失意」や「挫折」によるあきらめ方ではなく、「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きなあきらめ方が必要です。
そこで「あきらめる」の定義を変えることです。
「あきらめる」とは、それまでの自分のやり方に決別し、変化することです。変化は時に苦痛や面倒くささを感じることもあります。
しかし、そうやって変わらないのはラクではありますが、現実逃避や思考停止と同義です。暑いのに意地を張ってエアコンを使わなければ、最悪の場合、熱中症で倒れることがあります。これと同じで、変化を拒んで幸福になれる人は少数派です。
自分のやり方を変えなければならないと気づくことは、自分の誤りに自覚的になることであり、それこそが「知性」です。
「ブレない」「一貫性がある」というのは良いこと、望ましいことのように思います。現代のように環境変化が激しい時代にはむしろリスクがあることにも、敏感になっておきたいです。さまざまな経験を積み、自分ができることが変わっていけば、ものの見方や考え方、価値観も変わります。
テクノロジーの進化や新しいサービスの普及で前よりも簡単に、自分はそれ以外の付加価値にフォーカスするという判断もできます。そのため、かつての自分の考えや主張と矛盾することは何も問題ではないです。むしろ成長の証しとすら言えます。時代や環境が変われば成功法則もライフスタイルも変化して、自分が仕事や人生に求めることもやはり変化するからです。
むしろ、変わらないことのほうが危険です。
あきらめたことへの未練を断ち切るには「いい勉強になった、これを次に活かそう」と割り切る姿勢を持つことです。
だから、あきらめるとは 「学習すること」でもあります。
▼変化を拒んで幸福になれる人は少数派。変わらないことのほうが危険
- あきらめるとは「幸福に向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」こと。変化を拒んで幸福になれる人は少数派。変わらないことのほうが危険。
- あきらめたことへの未練を断ち切るには「いい勉強になった、これを次に活かそう」と割り切る姿勢を持つこと。だから、あきらめるとは 「学習すること」でもある。
「学歴コンプレックス」をやめてみる
大学入試の結果は単に18歳までに学校で積み上げた勉強の成果に過ぎず、19歳以降〜100歳位までに社会で積み上げられる分厚さとは比べ物にならないことを、まず認識する必要があります。
思考力や抽象(ちゅうしょう)化能力がまだ十分に発達していない10代で獲得できる能力、発揮できる能力は、一部の天才を除いてそれほど多くはないです。
一方、社会に出てからは、できることの幅と深さが段違いに拡大します。たとえば旅客機、新幹線、高速道路、石油化学プラントをつくれと言われても、学生ではどうやってつくればいいのか想像もできないと思います。 しかし、社会人はそれらをつくっています。
その中心人物は20代〜60代の大人ですが、天才ではない普通の人たちが大半です。会社、特に中小企業の経営者の多くは50代〜70代です 。この人たちは学歴で会社を経営しているわけではなないです。
あくまでも社会に出てから培った経験・スキル・技術で商売をしているわけです。
こういった現実を直視すれば、18歳までに得た小さな遺産と気づけます。生涯にたった4年ほど通っただけの大学名にこだわっている場合ではないとわかります。それに、人間の能力には、学力のほかにもリーダーシップや創造力などといった、テストでは測れないものがたくさんあります。
成人してから何を成し遂げるかのほうがはるかに重要なのに、人の評価を学校のランクで計測するのはまったくナンセンスです。学歴コンプレックスから脱却する一つの方法は、自分が才能を発揮すべきなのはどこか、その判断の軸を手に入れることです。
もちろん途中で変わっても、複数分野であっても全然問題ないです。
▼人間の能力には、学力のほかにもリーダーシップや創造力などといった、テストでは測れないものがたくさんある
- 大学のランクは18歳の春というその瞬間での「学力診断」結果の反映に過ぎない。大学入試の結果は単に18歳までに学校で積み上げた勉強の成果に過ぎず、19歳以降〜100歳位までに社会で積み上げられる分厚さとは比べ物にならないことを、まず認識する必要がある。
- 人間の能力には、学力のほかにもリーダーシップや創造力などといった、テストでは測れないものがたくさんある。
「孤独を恐れる」のをやめてみる
孤独なんて寂しいし、悲しすぎるじゃないですか…あ~そんな老後になったらどうしよう…
自分の中に「孤独はみじめ。 独りは寂しい」という思い込みがあるため、「自分は周囲の人から寂しい人間だと思われているんじゃないか」という妄想に苦しんでいます。
しかし、孤独というのはただの状態であり、孤独そのものがみじめなのではないです。「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定観念が孤独であることをみじめにしています。
「人間は一人では生きていけない」といった主張に、多くの人は「そうだよね」と同調し、それ以上考えることをやめてしまいます。
しかし、いったん立ち止まって「それは本当なの?」と深く考えてみる必要があります。
特に、昔から言い古された(ふるされた)格言、名言の中には、現代では通用しないものも多々あります。にもかかわらず、「孤独は寂しい」「一人では生きられない」というのは、ただの思考停止です。実際には一人でも生きていけるわけで、孤独を恐れる必要はないです。
孤独はむしろ、自分らしく生きる原動力になります。
- 「孤独力」こそ人生最強のスキルの一つ
孤独力とは、他人との接触を避け、一人でいることを愛するような、自閉的なものではないです。社会の中で人と関わりながらも、常に自分の意思を主軸に置き、自己責任で生きる力のことです。孤独の中で自分と向き合い、自分の感情を意のままに操れるようになれば、不安や悩みも自己消化できます。
出来事への捉え方を変え、 幸せを感じられるようにもなります。
▼心の強さを高めるには、孤独の時間が必要
- 「孤独は寂しい」というのは、ただの思考停止。実際には一人でも生きていけるわけで、孤独を恐れる必要はない。孤独はむしろ、自分らしく生きる原動力に。
- また、「孤独力」こそ人生最強のスキルの一つ。孤独力とは、社会の中で人と関わりながらも、常に自分の意思を主軸に置き、自己責任で生きる力のこと。孤独の中で自分と向き合い、自分の感情を意のままに操れるようになれば、不安や悩みも自己消化できる。そして出来事への捉え方を変え、 幸せを感じられるようにもなれる。 つまり、心の強さを高めるには、孤独の時間が必要。
まとめ
午堂登紀雄(ごどうときお)】
- 「やりたいことがないのは悪いこと」という考えをやめてみる
- 「やりたいことを探す」ことをやめてみる
- 「自分のために仕事する」という考え方をやめてみる
- 「比較」をやめてみる
- 「給料が上がらない」という不満をやめてみる
- 「あきらめない」をやめてみる
- 「学歴コンプレックス」をやめてみる
- 「孤独を恐れる」のをやめてみる
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