こんにちは、あっきーです!
日本経済は、バブル経済崩壊後の1990年代初頭から今にかけて「失われた30年」と言われることも多いですが、アベノミクスを経てもなお本質的には回復しておらず、慢性病のような低迷を続けています。
その証拠の1つが、「いずれ上がる」と言われながら、一向に上昇しない賃金です。
2025年には、団塊の世代が後期高齢者になります。75歳男性の平均余命は12.63年なので、2037年には半数が亡くなります。
問題は”人口減少”という数の論理だけではないです。今の日本は「昭和の負の遺産」を引きずり続けています。
かつては経済発展の推進力として機能していた”昭和的あり方”が、今ではすっかりガンのようになってしまっています。
昔の明治維新や世界大戦での敗戦のように、国家システムが根本からひっくり返るようなことがなければ変わらないです。
このような構造的衰退国家である日本において、ビジネスパーソンはどのようにして未来に備えるべきか。
本書では国や組織によりかからず、個人として自分の身を守りながら、楽しく幸せな人生を作っていく方法が紹介されています。
このブログでは、その中から厳選して人生をより豊かにする方法を9個解説していきます。
このブログを見て日本経済についてよくわかった、今後の教育や転職についてよく理解できたという人はコメントください。
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Contents
100%自己責任の時代に備える。
この本の著者の成毛さんは、これからの日本は”100%自己責任の時代”になっていくといいます。
今の日本では、国民全員に提供されるセーフティーネットであるはずの「社会保障制度」ですら、破綻に向かっています。
また、年金も問題になっています。65歳以下の年代では、何十年も支払った額よりも少ない年金しか受け取ることができないです。
また、平均年金受取額は、厚生年金を含めて月14万円台と低迷しています。このままいけば、いつか年金制度は実質的に破綻します。
加えて、将来的にインフレが進めば、老後の月額年金は現在の1万円くらいの価値に下落する恐れもあります。
仮に、今すぐ社会保障システムが劇的に改良されたとしても、効果が出るのは40年以上先と言われています。
そのため、今の現役世代は国を頼るのではなく、したたかに自分の身を守りながら、自分なりに楽しく幸せな人生を作っていくことを考えた方がいいです。
まずはこの意識を持つようにしてください。
価値観をシフトする。
100%自己責任の時代、それはつまり究極的な個人の時代がやってくるということです。
そこで、最も大切なのは「自分勝手」であることです。
同調圧力を気にせず、空気を読まない、集団に埋没しない、権力に屈しない、そんな自分勝手に生きる人こそが、今後は生き残っていきます。
昭和は、みんなで同じ高みを目指した時代です。良い学校、良い会社、良い車の概念が共通であり、より良い学校に入り、より良い会社に就職し、より良い車に乗っている人が成功したとされました。
何が良い学校で、良い会社なのか、個人によって違うのが当然になっています。趣味や嗜好もバラバラで、見ているメディアやエンタメもバラバラです。
所得にも差があります。
このような時代において、もはや組織に従順に生きて将来が好転するような時代ではないです。国のため、会社のためという価値観も、脱却すべき昭和の遺物です。
- 「自分の幸せは自分で決める」
- 「欲しいものは自分で取りに行く」
- 「去りたいならばさっさと退場する」
これらの考え方が生き方の本流になっていきます。
自由に生きることに価値を置き、集団に埋せず、自分にとっての幸福感を追求する考え方にシフトしていってください。
上場企業よりユニコーン企業を目指す。
日本の上場企業には特有の昭和的体質があります。デジタル化が進む現代において印鑑の押印が必要だったり、契約書や請求書などが多く必要だったりします。
日本の半導体産業が衰退したのは、東洋経済オンラインの記事で、次のように言われています。
「事業に投資を決めるのは本社で、半導体のマーケットをわかっている人間が、事業投資において決定権を持つことはできない。
しかも半導体が儲かったときは、利益を全部吸い上げられ、損をしたときは事業をやめろと言われる」。
このような古くからの体質が日本の経済を衰退させ、今後は半導体どころか、公共インフラ部門や二次電池部門なども国際競争力を失う可能性が高いと言われています。
ユニコーン企業とは、企業の評価額が10億ドル(約1150億円)を超える上場のスタートアップ企業のことです。
ユニコーン企業であれば、経営者や経営層の人間が比較的若い世代が多いため、昭和的価値観に引きずられる心配が少ないです。
これから就職する人、転職する人は意識してみてください。
イノベーションはパクリの掛け算。
経済にイノベーションを起こそうというと、決まって聞こえてくる声の1つが「中小企業はお金も人もいないからイノベーションなんて起こせない」というものです。
イノベーションを自前で起こすなら、経営者の器や眼力、資金力が非常に重要になります。しかし、こうした眼力や資金力は、イノベーションの必須条件ではないです。
そもそもイノベーションとは、新たな結合によって社会やビジネスを大きく変えるような新しいやり方を創出することを意味しています。
大切なのは、誰も解決できていない問題を何とかするために、いくつかの要素をくっつけてみることです。
その要素は新しいものでも古いものでも、他人からの借り物でもいいです。誰もやっていない組み合わせを実現することの方が大切です。
流れ作業による大量生産革命を起こしたフォード生産システムは、20世紀の世界を変えた大イノベーションですが、これは牛が解体される食肉工場の流れ作業にヒントを得て応用したものです。
牛の解体作業と自動車生産、どちらも既存の要素を組み合わせた新結合が世界を変えるイノベーションになったといえます。
既に世の中にあるものを安く手に入れ、掛け算して活用する。
そのためには、世の中の森羅万象に好奇心を持ち、感度を上げて新ネタの探索を続け、良いものを見つけたら素早く行動に移す組織能力、そして人数よりも個々人の再確認の方が大切になります。
学校は中身で選ぶ。
今や学歴にはほとんど価値がないと言われています。
実際、受験で測れる賢さはたかが知れており、むしろ受験では測れない視野の広さや発想の自由さ、話す力などが実社会ではものをいいます。以前の”学歴主義”は、”職歴主義”に変わりつつあります。
最初に入った会社が、昔でいう〇〇大学卒に代替されつつあるということです。
就職先の選び方で本人の意思や能力が測れるようになってきています。
これは学校選びにも同じことがいえます。
毎年東大への合格者を50人出す進学校出身でも、よほど学力が飛び抜けていない限り、普通の人より少し賢い程度の人扱いされる可能性が大きいです。
一方、インターネットを活用した通信制高校のN高を卒業して、転職活動で「最初からN高しか志望していませんでした」とアピールしたら、採用側はそのユニークさに見所があると感じるかもしれないです。
これからは偏差値の高さといった旧来の価値観で学校を選ぶのはやめてください。
はっきりした意思を持って行きたい学校に行くことが、将来の就職にも有利に働くようになっていきます。
大学に行く意味。
学歴と価値が失われたと言いましたが、それは「大学に行く必要がなくなった」ということではないです。むしろ大学には行ったほうがいいです。
なぜなら、大学に行ったという事実は、「自分をやばい人間ではありません」という、重要なシグナルになるからです。
特にグローバル人材として活躍する可能性を残しておきたいなら、〇〇大学卒というのが、最低限のパスポートになります。
アメリカでは、高卒と聞くと「この人はトラックが何かの犯罪歴があって大学に行けなかったのかも」と思われてしまいます。
単なる偏見ではなく、アメリカでは実際にそういった事情で高卒止まりの人が多いです。
世の中のほとんどの10代は、自分が何者になるのか未知数です。
そのためグローバル人材になる道が開ける可能性も大いにあります。
もちろん、行くのは何大学の何学部でもいいです。偏差値などで選ぶ必要はないです。
何事も最低限の労力で最大効果を得るのが一番です。最低限の受験勉強で「大学に行った」という社会的価値を獲得するのが、最もコスパが高いといえます。
著者の成毛さんは、「日本の大学の教育的価値は、一部の大学を除いて地に落ちていて、入試で頑張るのは人生の無駄でしかない」と言い切っています。
教育に関する親の姿勢。
初等教育・中等教育においては、親の問題が大きいです。
世間的に良い学校に行けば、いい人生になるわけではないです。
親はそんなことを知っていても、昭和の呪縛から自由になり切れないところがあります。
生まれたときにはインターネットがあって、様々な情報に触れてきた子どもの方が、発想が自由で偏らない情報を持ち、正しい選択をする確率は高いです。
初等教育期、または中等教育期にある子どもにとっては、親との関係が何よりも重要です。
親がしっかり子どもと向き合い、全存在を受け入れてあげていれば、学校教育はたいした問題にならないです。
実際に海外では、平気で子どもを職場に連れて行く人が少なくないです。
子どもの世界は、基本的に家と学校の間にあって、とても狭いです。だからこそ大人が仕事をしている現場に早くから触れさせることの教育的価値は非常に高いでしょう。
日本は江戸時代のスタイルに立ち返るべき。
これまで「個人がそれぞれの幸せを追求しながら、気ままに生きるようにすべき」と主張してきました。
それは新しいライフスタイルを作れというものではなく、もともと日本にあった伝統的ライフスタイルに立ち返るということです。
伝統的な日本人というと、”勤勉”というイメージがあると思います。しかしこれは明治以降、士族階級を筆頭に、富国強兵という国家プロジェクトに必死になっていた頃に作られた伝統です。
実際、ほとんどの人は農民でした。江戸時代、長屋住まいの庶民は職を転々としながら気ままに暮らしていました。
その日暮らしで物質的な裕福ではありませんでしたが、生活はのんびりと満ち足りていました。
このような生活スタイルが日本人には合っています。
日本は「アメリカと中国、2つの大国がいがみあっているあいだで板挟みになっている」というのが世間一般のイメージですが、ローマの昔から覇権国の間にある国は豊かになるものです。
そのため、米中の間でうまくやり、ラテン系の生活モデルになれば幸せに生きることができます。のんびり楽に生きる江戸型ライフスタイルを検討してください。
期待値を下げて生きる。
イタリアやスペインのように生きるのが日本人にはぴったりと話しました。中でもイタリアはイメージが合います。
- 日本もイタリアも食文化が独特で、世界のある程度の知識層やマニアからは評価が高い
- 両国とも部品産業やアパレルなど、細々とした特殊産業に特化した小国
イタリアはローマ時代や大航海時代には世界を席巻し、その後は戦争から脱落しましたが、明るく軽やかに、個人の幸せを追求してきました。
江戸時代、植木職人や鳶職、大工などの労働時間は年間80日程度、つまり週勤2日でした。
農家も、年の3分の1は休み、役人ですら、1ヵ月働いたら1ヵ月休むというシフトでした。
江戸の庶民は裕福ではありませんでしたが、食べていけないほど貧しかったわけでもないです。
裕福ではないなりに、自由に満たされた生活をしていました。あなたも自分自身の幸せを優先し、今後の人生を歩んでいってください。
まとめ
解説は以上です。人生において大切なのは、全て自己責任でやりくりするのではなく、頼れるものにはどんどん頼り、頼れないものに頼らないことです。
頼りにならないものに頼ってしまうと、かなりの確率で不幸になってしまいます。誰も自分の力だけは生きていけないです。
そこで途方にくれずに考えて、好奇心のアンテナを立てて色々と調べてみると、自分が心から楽しいと感じることがあり、世の中にはそれで生きていく方法が見えてきます。
自分の価値観に合った、幸せな人生の道筋を見つけていってください。今回の解説が面白かった、勉強になったという人はコメントください。
- 100%自己責任の時代に備える。
- 価値観をシフトする。
- 上場企業よりユニコーン企業を目指す。
- イノベーションはパクリの掛け算。
- 学校は中身で選ぶ。
- 大学に行く意味。
- 教育に関する親の姿勢。
- 日本は江戸時代のスタイルに立ち返るべき。
- 期待値を下げて生きる。
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