こんにちは、あっきーです!
- 「いまさら新しいことを始めるなんてできない」
- 「始めようにも、お金もなければ人もいない」
- 「いまの生活を保っていくだけで精一杯」
- 「この年になったら、何もしないのが一番の幸せ」
いろいろな声が聞こえてきそうですが、本当にそうですか。
せっかく長生きしたのですから、「もう、おしまい」といわずに、もう少し、この世の新しい世界を楽しんでください。
それには、時間の使い方を見直すことです。あなたはこの1日、1週間、1ヶ月、1年を、どんなふうに過ごしましたか?1日は長くても、1年は速い、ということがあります。何もしなくても時間は過ぎていきます。
逆にいえば、何をしても時間は過ぎていきます。どうせ時間が過ぎていくのだとしたら、何かをしたほうが得です。少なくとも、何もしないより、はるかに面白そうです。 いや実際、面白いです。人生はまだまだ終わらないです。
この本では、80歳からも楽しく過ごす方法が54個紹介されています。
今回はその中から特に重要な8個を解説します。毎日時間だけが過ぎてしまっている方におすすめのブログです。
勉強になった、もっと知りたいと思った人はコメントください。
Contents
年相応の生活はしない
同じようにしたいと思っても、体が言うことをきいてくれない、ということもあります。いつのまにか、目は見えにくくなり、足元がおぼつかなくなり、なにか聞かれても聞き取りにくくなってしまいます。
そうなると、生活の仕方も、段々と変わっていきます。外に出たり人と会ったりすることが億劫(おっくう)になり、家の中でぼんやり過ごすことが多くなります。
この本ではタイトルの通り、80歳からの人生の楽しみ方について書いていきますが、まずは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」になることをやめてください。
年をとると、勝手に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれることがありますが、それには返事をしないことです。社長さんは、「社長」と呼ばれることで社長らしくなっていく、ということがあります。
それはよいことですが、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれていくと、返事の仕方だけでなく、表情も動作も、それらしくなってしまうものです。
「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶ人が悪いというのではないです。実際、年をとったのだから、そう呼ばれても仕方がないです。でも、それにあえて「NO」と意思表示してみるわけです。「おじいちゃん」としてではなく、自分自身として生きていく。
大げさな言い方のようですが、 でも、それを意識するだけで、背中がピンと張るような気持ちになります。
80歳になったからといって、80歳らしくすることはないです。何歳になっても、自分らしくあることが一番です。
▼「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれていくと返事の仕方だけでなく、表情も動作も、それらしくなってしまうもの
- まずは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」になることをやめてみる。「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれていくと、返事の仕方だけでなく、表情も動作も、それらしくなってしまうもの。
- 「おじいちゃん」としてではなく、自分自身として生きていく。それを意識するだけで、背中がピンと張るような気持ちに。何歳になっても、自分らしくあることが一番。若い人の生活や流行に無理に合わせる必要がないのと同様に、80歳だからといって老人生活になることもない。
自分の年齢は忘れてもいい
認知症かと思われるかもしれませんが、そうではないです。
私たちは、ふだん、それほど自分の年齢を意識しているわけではないです。だから、突然、年齢を聞かれると、何歳だったかわからなくなることがあるわけです。 「わからない」というより、「すぐに出てこないだけ」というほうが正しいです。
80歳を過ぎたら、 自分の年齢がすぐに出てこないくらいでちょうどいいです。1歳や2歳の違いはたいした差ではないし、開き直るなら、「それがどうした」ということです。
大事なことは、年齢にとらわれないことです。
「80歳になったら○○できない」「80歳だから○○できない」そんなふうに決めてしまうのが、一番もったいないです。
したいことがあるなら、何歳であっても挑戦してください。少なくとも、年齢だけを見て「できるはずがない」と考えるのは早計(そうけい)です。年齢は関係ないです。いまはマイナス15歳の時代です。そうであれば、現在の年齢は忘れていいです。
自分の年齢を忘れるくらい打ち込めることを見つけられたら、それこそ80歳からの人生を、存分に楽しんでいけるはずです。
▼「80歳だから○○できない」そんなふうに決めてしまうのが、一番もったいない
- 大事なことは、年齢にとらわれないこと。「80歳だから○○できない」そんなふうに決めてしまうのが、一番もったいない。
- したいことがあるなら、何歳であっても挑戦。少なくとも、年齢だけを見て「できるはずがない」と考えるのは早計(そうけい)。年齢は関係ない、自分の年齢を忘れるくらい打ち込めることを見つけられたら、それこそ80歳からの人生を、存分に楽しんでいけるはず。
最低の生活費を知っておく
これは、節約しましょう、という話ではないです。
自分が生活するうえで必要なお金というのは、いちばん身近な数字です。
- コンビニで買った弁当はいくらか?
- スーパーマーケットで買った卵はいくらだったか?
- ドラッグストアで買ったトイレットペーパーはいくらか?買うときに記憶して、帰ってから、いくらだったかを思い出してください。覚えていなくても、レシートに答えが書いてあります。レシートを見なくても、値段がスラスラいえたら、たいしたものです。
たとえ、「家に帰ったら全部忘れていた!」としても、それでいいです。
数字が身近にあること、数字に慣れることで、「数字」に強くなっていきます。
仲間内でコーヒーを飲んで「割り勘にしよう」となっても、ちゃんと計算できます。できれば、そのお金をほかの仲間たちより、早く出すことです。割り勘のお金をなかなか出さない人がたまにいますが、モタモタしていると、出し渋って(しぶって)いると思われてしまうかもしれないです。そう思われないためにも、計算に強くなっておくことが大切です。
キャッシュレスの時代になって、支払いはすべてクレジットカードですませているという人も多いかもしれないです。その場合には、1ヶ月ごとに明細が出ます。一覧を見るだけで、その月を振り返ることにもなります。しかし、それでは、万が一、なにか間違いがあっても気づくこともできないです。
大切なお金を管理することでも、数字に強くなっておくのはとても大切です。
- 損です。
仲間はずれにされる危険性があるからです。誘われなくなった時点で、老いは一気に早まります。念のため数字に強くなる一つの方法として、外出の時間やテレビ番組の時間などを記憶したり、書き留めて(とめて)おくことがあります。
▼大切なお金を管理することでも、数字に強くなっておくのはとても大切
- 自分が生活するうえで必要なお金というのは、いちばん身近な数字。キャッシュレスの時代になって、支払いはすべてクレジットカードですませているという人も多いかもしれないが、それでは、万が一、なにか間違いがあっても気づくこともできない。大切なお金を管理することでも、数字に強くなっておくのはとても大切。
- ただしケチになるのは損。仲間はずれにされる危険性があるから。誘われなくなった時点で、老いは一気に早まる。念のため数字に強くなる一つの方法として、外出の時間やテレビ番組の時間などを記憶したり、書き留めて(とめて)おくことがある。 たったこれだけで、金銭感覚が鈍くなるのを防げる。
まだまだ稼げる人間になる
年金生活に入って、
- 「その給付額の中で、なんとか生活していかれればいい」
- 「稼げるなら稼ぎたいですが、そんなことは無理」
そんなふうに思っていないですか?
たしかに、定年の後、アルバイトや嘱託(しょくたく)などで働く機会はあっても、報酬はそう高くは望めないです。 会社勤めだった人の年金は、 それでも多いほうですが、それまで店舗を構えてきた自営業の人たちの年金は、ぐっと少ないものです。
それだけに貯金を食い潰さない程度に、お小遣いが稼げたら十分だと考えているようでは、じつは危険です。 最近では100歳まで生きられるからです。それこそ生活費が足りなくなってしまいます。
- いまは、子どもでも、インターネットを使って億単位の年収を稼ぐ時代です。
アメリカの8歳の男の子は、 YouTubeで28億円も稼いでいます。
ロシアの5歳の女の子は父親と遊ぶ動画で、20億円も手に入れています。日本でも88歳の女性YouTuberがいるようです。そんなことは自分とは無関係の夢の話、のように思うかもしれないです。 しかし、一昔前なら、あり得なかったことができる時代になっています。いままでの80歳にはできなかったことが、できる時代です。
「いまさら稼いでもしょうがないし、稼ぐ必要もない」という人もいると思います。
それでも「稼げる」というのは、誰にとっても大きな自信につながります。
お金の額より、その自信がとても重要です。年老いていくというのは、力を失っていくことです。ここでいう「力」とは、生命力と経済力です。生命力は生き抜く力、常に元気であることです。
経済力は稼ぐ力、 必要なお金は自分で稼ぐ 稼げるということです。これらの力を失っていくことが老いることであるなら、この生命力と経済力さえあれば、老いとは無縁の生活が送れるということです。稼げることが大事だといっても、大金を稼がなければならないということではないです。
必要最小限のお金は、いざとなったら自分で稼ぐことができる、という自信を持てるかどうかが大事です。
どうすれば稼ぐことができるか。それを考えてみることから始めてください。
▼「稼げる」というのは、誰にとっても大きな自信に
- 貯金を食い潰さない程度に、お小遣いが稼げたら十分だと考えているようでは、じつは危険。最近では100歳まで生きられるから。それこそ生活費が足りなくなってしまう。
- 「いまさら稼いでもしょうがないし、稼ぐ必要もない」という人もいるはず。それでも「稼げる」というのは、誰にとっても大きな自信に。お金の額より、いざとなったら自分で稼ぐことができる、という自信を持てるかどうかが大事。どうすれば稼ぐことができるか。それを考えてみることから始めてみる。
少ない報酬の仕事も喜んで受ける
それが報酬のある仕事となれば、 「自分もまだ捨てたものじゃない」と思えるはずです。
ただし、その報酬も自分が思うより少ないことがあるかもしれないです。特に、以前にしていた仕事で、相場を知っているような場合、それよりも安い金額を提示されると、なにか馬鹿にされたような気持ちになるかもしれないです。それで、「そんな仕事は受けたくない」と断りたくなりますが、 一度は受けてみることをおすすめします。
安い金額なのは、先方の苦しい事情もあるのかもしれないです。その為、 時間があって自分にできることなら、受けてあげてください。 その仕事で認められれば、また次の仕事につながる可能性もあります。
たとえ、思った金額にならなくても、高齢世代では、報酬の高さよりも、仕事があるということが大事です。
- 「お金」だけとは限らないです。
その仕事をすることで、「やりがい」や「面白さ」「喜び」を感じることができたら、それも報酬に含まれます。仕事をすることで、社会とのつながりも感じられます。 新しい人脈もできるかもしれないです。それこそ大きな報酬です。
▼報酬のある仕事となれば、 「自分もまだ捨てたものじゃない」と思えるはず
- 頼まれ事というのは、うれしいもの。自分がまだまだ役に立つ存在だと実感できる。 それが報酬のある仕事となれば、 「自分もまだ捨てたものじゃない」と思えるはず。
- 高齢世代では、報酬の高さよりも、仕事があるということが大事。「報酬」というのは、「お金」だけとは限らない。その仕事をすることで、「やりがい」や「面白さ」「喜び」を感じることができたら、それも報酬に含まれる。仕事をすることで、社会とのつながりも感じられる。 新しい人脈もできるかもしれないです。それこそ大きな報酬。
脚だけは丈夫に保つ
あなたは毎日、どれだけ歩いていますか?
体相学(たいそうがく)では、人の人生を若年(じゃくねん)、中年、老年の三つに分けて、それぞれの年代で、鍛えるべき大事な場所を示しています。
若年とは最近では30代までの時代ですが、そのあいだは「頭」を鍛えることが大事です。
60歳までの中年においては、「内臓」を鍛えることが肝心です。運動するような余裕は持ちにくく、健康より時間が優先されます。 生活習慣病が命取りになることを思えば、内臓に気を遣うことは、たしかに重要です。
そして60歳以降の老年は、どこを鍛えるかといえば、「腰」と「脚」です。
脚を丈夫に保つことが、長生きの秘訣とされています。足腰さえしっかりしていれば、自分でどこにでも行くことができます。昔でいえば、畑に出て、作物をつくることができたわけです。
少しだけ背筋を伸ばすように意識してみる。徒歩での移動を意識的に取り入れるなど、自分が意識して、それをすることに意味があります。
それが脚を鍛えることにつながっていきます。
▼足腰さえしっかりしていれば、自分でどこにでも行くことができる
- 体相学(たいそうがく)では、人の人生を若年(じゃくねん)、中年、老年の三つに分けて、それぞれの年代で、鍛えるべき大事な場所を示している。若年とは最近では30代までの時代ですが、そのあいだは「頭」を鍛える。
- 60歳までの中年においては、「内臓」を鍛えることが肝心。そして60歳以降の老年は、「腰」と「脚」。脚を丈夫に保つことが、長生きの秘訣。足腰さえしっかりしていれば、自分でどこにでも行くことができる。
好き嫌いは直さない
- 「ブロッコリーは認知症に効く」
- 「青魚は心臓病を予防する」
- 「納豆は糖尿病にいい」
- 「ぬか漬けは便秘を解消する」などなど…
あげていけばキリがないです。体にいいといわれると、何としてでも、それを食べなければという気になりますが、なかには嫌いなものもあると思います。
昔は「好き嫌いなく何でも食べなさい」と教えられてきたものですが、いまは、嫌いなものは無理して食べなくてもいい、というふうに変わってきています。そう、嫌いなものを食べる必要はないです。
ここまで生きてきて、いまさら好き嫌いを克服する必要はないです。
この本の著者の櫻井(さくらい)さんは「身土不二(しんどふじ)」を心がけています。「身土不二」とは、「からだと生まれ育った土地はつながっている」という意味です。
つまりは、その土地で採れる野菜や魚類、獣肉類は、その土地の人間には合っている、ということです。
▼つまり、自分とゆかりのあるものを食べていれば、「間違いない」
- ここまで生きてきて、いまさら好き嫌いを克服する必要はない。 この本の著者の櫻井(さくらい)さんは、「身土不二(しんどふじ)」を心がけている。「身土不二」とは、「からだと生まれ育った土地はつながっている」という意味。
- つまりは、その土地で採れる野菜や魚類、獣肉類は、その土地の人間には合っている、ということ。つまり、自分とゆかりのあるものを食べていれば、「間違いない」と思っている。
新しい人と出会う
しかしそれは大きな間違いです。
男も女も80歳を過ぎても、85歳を過ぎても、いくつになっても新しい出会いを見つけることはできます。
- 今、この動画を観てくださったということも、一つの出会いです。
出会いというと、男女の恋愛をイメージする人も多いかもしれませんが、それだけではないです。それまで知らなかったものとつながること、それが出会いです。
新しい本や映画。新しい服や靴。 新しい髪型。新しい食べ物や飲み物。新しい場所。べつに新品である必要はないです。自分にとって初めてであれば、それだけでワクワク楽しくなるはずです。
本来なら80代の人口は、1000万人以上います。ところが現実には、ほとんど街や仕事場で見かけないです。つまりは、家に閉じこもってしまっています。
そこで外に出た場合には、自分以外の、そこにいる人たちはすべて、年下の若い友人となるわけです。若い人たちは、新しい知識と情報を持っています。
そして、それを生活に組み入れています。それだけに、案外、それを簡単に教えてくれるものです。人は誰しも、人に教えることが好きなものです。
- 「最近、こんな面白い本を読みましたよ」
- 「最近、こんなおいしいレストランを見つけましたよ」
- 「最近、こんな不思議なことがあったんですよ」
そんな人たちの話は、聞いているだけで楽しくなり、 若返ります。そういう人たちと、どこに行けば出会えるのかといえば、まずは外に出ることです。
いつも同じ場所にいるのでは、新しい出会いは生まれにくいです。
▼自分にとって初めてであれば、それだけでワクワク楽しくなるはず
- いくつになっても新しい出会いを見つけることはできる。自分にとって初めてであれば、それだけでワクワク楽しくなるはず。
- 若い人たちは、新しい知識と情報を持っている。 そんな人たちの話は、聞いているだけで楽しくなり、 若返る。そういう人たちと、出会うために、まずは外に出ること。いつも同じ場所にいるのでは、新しい出会いは生まれにくい。いつもとは違う場所、新しい環境に行って、新しい出会いを見つけていく。
まとめ
櫻井秀勲(さくらいひでのり)
- 年相応の生活はしない
- 自分の年齢は忘れてもいい
- 最低の生活費を知っておく
- まだまだ稼げる人間になれる
- 少ない報酬の仕事も喜んで受ける
- 脚だけは丈夫に保つ
- 好き嫌いは直さない
- 新しい人と出会う
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