こんにちは、あっきーです!
- 社長がお花畑に行くと、どこからか声が聞こえてきました。
そして、「川のほとりまで行ったら、そこであなたの人生について尋ねる。川のほとりまでに、どんな人生だったかをまとめておきなさい。」と言われました。
この社長は他人の何十倍も頑張ってきた人で、名誉や地位も十分手に入れていました。胸を張って、努力し、頑張ったと言えると思っていたそうです。
しかし、いわゆる、三途(さんず)の川について言われたのは、「人生をどれほど楽しんできたか」でした。
社長は絶句し、答えることができなかったです。
人生を楽しもうと思ったことはなく、楽しんだこともなかったからです。すると、「あなたは人生について考え違いをしていました。もう一度やり直しなさい」と言われ、社長は目を覚ましました。生き返りました。
社長はその後、全く違う人格の人となり、ニコニコしていて楽しい、誰からもその存在を喜ばれる人になったのです。
魂は進化します。
魂が進化すると、出来事全てに「楽しい」と思い、「おかげで成長できた」「ありがたい」と思えるようになります。
この本には「人生を楽しむ」ための30の法則がまとめられています。
今回は、その中から8個に厳選して解説していきます。つらく苦しい人生だと思っている人におすすめのブログです。
勉強になった、もっと知りたいと思った人はコメントください。
Contents
自分が心地良い生き方をする
- その問いに対し著者の小林(こばやし)さんは…
「私がもし社員だったら、3日で辞めるでしょう。掃除をしている五、六人は社長の覚えもよく、社長は気持ちよいかもしれません。でも、定刻通り八時半に出勤してくる社員は、一日中笑顔が出るでしょうか? 社長と共に掃除をしている五、六人は心地よいかもしれませんが、それ以外の社員は居心地悪くて笑顔が出ないのではないでしょうか?」そうお話ししたら「笑顔が無い」ということでした。 - それから、重役出勤をするようになって「いい加減」になったら、社員がみんな一日中笑顔なのだそうです。
さらに面白いことに、年間の売上が落ちてきていたのが、売上が上がり始めたそうです。
力を抜いて、正論から決別して捨てていくと、売上が下がるのではなく上がります。ここはとても重要なポイントです。「では売上を上げるために力を抜くぞ」と言った途端に逆風になります。
自分にとって人生はどちらが楽しいのか?何が正しいかを問いかけるよりも、「自分」がどう生きるかだけを考えて生きるほうが楽しいのではないか、ということです。
そのほうが、周りの人間関係も社会の約束事も、スムーズに流れていきます。
人間は自分が自分に対して厳しいと、人にも厳しくなってしまいます。
他人に寛大(かんだい)になるために、どうしても必要な条件、それは自分に甘くなることです。
自分が心地よい生き方をすると、他人にも優しくなれます。
▼今、心地よい生き方ができていない人は、心地いい生き方をしてみること
- 力を抜いて、正論から決別して捨てていくと、周りの人間関係も社会の約束事も、スムーズに流れていく。
- 人間は自分が自分に対して厳しいと、人にも厳しくなってしまう。他人に寛大になるために、どうしても必要な条件、それは自分に甘くなること。自分が心地よい生き方をすると、他人にも優しくなれる。もし今、心地よい生き方ができていない人は、心地いい生き方をしてみること。
人生の前半は求め、後半は執着を捨てる
なぜマラソンのコースに一本道ではなく折り返し点を設けるかというと、追い風と向かい風が同時に有利不利に働くようにできているからです。
行きが追い風なら帰りは向かい風、行きが向かい風なら、帰りは追い風、というように往復で風を受けることで、有利不利が相殺(そうさい)されるようになっています。
上り坂があれば、同じだけ下り坂がある。有利不利を平均化するためには、折り返しをつくらなければならないわけです。
- 仮に寿命が80歳だとすると折り返し点が40歳。
70歳の方なら35歳が折り返し点になります。往路の場合、求める心が強いほど追い風になります。後半は、執着を捨てる心が追い風になります。
人生の前半戦は、折り返しまでの半分は求める心が強いほど、それが追い風になります。そして執着を捨てていくことは自分にとって働いたり動いたりすることの逆風になります。ブレーキを踏む心になります。
ところが、人生前半の追い風が強ければ強いほど、人生の後半は向かい風になります。逆に執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生の後半は追い風になります。
人生の後半戦は、こだわりや執着を捨てていく作業の過程です。人生の後半は決別の連続です。
人生の後半戦で執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生が楽しいものになります。向かい風がなくなっていきます。
求める心が強くて、あれが欲しいこれが欲しい、と言っている力が強ければ強いほど、逆風が強くなります。幸せの構造というのは このように簡単です。
▼執着を捨てていく、ということは自分にとって働いたり動いたりすることの逆風になる
- 人生の前半は、折り返しまでの半分は求める心が強いほど、それが追い風に。そして執着を捨てていく、ということは自分にとって働いたり動いたりすることの逆風になる。
- しかし人生前半の追い風が強ければ強いほど、人生の後半は向かい風に。逆に執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生の後半は追い風に。人生の後半は、こだわりや執着を捨てていく作業の過程。人生の後半は決別の連続、人生の後半で執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生が楽しいもの。向かい風がなくなるから。
- 肯定的な求める心が強くて、あれが欲しいこれが欲しい、と言っている力が強ければ強いほど、逆風が強くなる。幸せの構造というのはこのように簡単。もし、いま、逆風で走りにくい状況なら、自分の状況を見直してみる。
肯定的な明るい言葉を使う
その方程式とは、好きな言葉を言っていると、その言葉を言いたくなるように現象をつくってくれることです。
「つらい、悲しい、つまらない、嫌だ、嫌いだ、疲れた」と年間一万回言ったとします。そうすると、「ああ、そういう言葉が好きなのね」ということで、その言葉を来年は一万回言いたくなるように働きます。
その言葉が良い言葉か悪い言葉か、ではなないです。その人が日常口にしている言葉が好きなのだ、と認識されてその通りに動くようになっています。神さまは、その人がいつも言っている言葉を、「それが好きなのね」と認識すると、その好きな言葉をこの人に言わせてあげたくなります。
- 「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、愛してる、ついてる」という言葉を、一万回言ったとすると、その言葉が好きなのね、と神さまは思います。神さまには感情がないので、その人がいつも口にしている言葉を、もっと言わせてあげようと思います。
なぜなら、神さまは人に「喜ばれるとうれしい」というエネルギーだけの存在だからです。その人が好きで言っている言葉を、もっと言わせて、喜ばせてあげたい、という方程式が働いています。
▼肯定的な言葉をたくさん使い、神様を味方にしていくこと
- 幸せに生きるための方程式がある。その方程式とは、好きな言葉を言っていると、その言葉を言いたくなるように現象をつくってくれる、ということ。
- 神さまは、その人がいつも言っている言葉を、「それが好きなのね」と認識すると、その好きな言葉をこの人に言わせてあげたいもの。そのため、「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、愛してる、ついてる」という言葉を、一万回言ったとすると、その言葉が好きなのね、と神さまは思う。肯定的な言葉をたくさん使い、神様を味方にしていくこと。
目の前のことを大事にする
- 今日はやっと一人来るかどうかだ、という状態のときに、たまたま一人のお客さんが入ってきました。
もうあと5日後、10日後には店を閉めなくてはいけないような状況のときです。いつ倒産してしまうだろう、と考えごとをしながらラーメンを出したときに、思わずラーメンに指が入ってしまいました。「親父さん、指が 入っているよ」とお客さんが言うと、その店の主人は虚空を見ながら言いました。「大丈夫です。熱くありませんから」
これは笑い話ですが、考えさせられます。
- なぜお客さんが減っていったのだろう?
- 5日後、10日後にはどうなってしまうのだろう?
ということを考える必要はないです。
未来を心配することにエネルギーがいくから、美味しいラーメンを出すことができないです。それを考える暇があったら、今日来てくれた人に対して美味しいラーメンを出すほうが大事です。
どうしたら成功するかとか、どうしたらお金が儲かるか、ということを考える必要はないです。そのことだけをやっていけば、必ず、お客さんが増えていって、仕事として成り立つようになります。いかに美味しいラーメンを目の前の人に食べてもらうか、だけを考えればいいです。
それを「念を入れて生きる」といいます。
▼未来の心配事もあるが、まずは目の前のことを大事にすること
- どうしたら成功するかとか、どうしたらお金が儲かるか、ということを考える必要はない。そのことだけをやっていけば、必ず、お客さんが増えていって、仕事として成り立つようになる。
- いかに喜んでもらえるか、だけを考えればいい。それを「念を入れて生きる」という。あなたは、念を入れて生きているだろうか?未来の心配事もあるが、まずは目の前のことを大事にすること。
幸せは、自分が決める
二人の靴屋さんがある国へ行きました。
その国の人たちは、全員裸足(はだし)でした。
- それを見たAさん「ダメだ、この国では靴が一足も売れない」
- Bさんは、「この国には無限の市場が広がっている」と言いました。
2人はその隣の国へ行きました。その国の国民は、全員が靴を履(は)いていました。
- Aさんは「ダメだ、この国の人はみんな靴を履いているので、一足も売れない」
- Bさんは「この国の人たちは100%、靴の良さを知っている」と言いました。
現象がどうであっても、否定的にとりたい方は、そのようにとります。 前向きに、肯定的にとりたい方はそのようにとります。
だから、自分にとって楽しく幸せに思えるほうのとらえ方を選べばいいです。
- 「嫌なことだ、不快なことだ、イライラする」と思ったとします。
思った瞬間にこれは嫌なこと、不快なことになります。でも、「自分」がそう思わなかったら、この現象はただ通り過ぎるだけです。 - そしてまた別の現象が来たとします。そのときに「自分」が、「楽しい」と思ったら、その瞬間にこれは楽しいことになります。もし「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのことです。
つまり、「自分」が全部決めている、ということです。
幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めています。
あなたは、目の前の現象をどう捉えていますか?
事実は一つですが捉え方は無限大です。
▼「楽しい」と思ったら、その瞬間にこれは楽しいことになる
- 今、目の前にある現象が起きて、「嫌なことだ、不快なことだ、イライラする」と思ったとする。 思った瞬間にこれは嫌なこと、不快なことになる。
- 「楽しい」と思ったら、その瞬間にこれは楽しいことになる。もし「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのこと。つまり、「自分」が全部決めている、ということ。幸も不幸(こうもふこう)も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めているもの。あなたは、目の前の現象をどう捉えているか?もし、不幸だと感じているならば、捉え方を変えてみること。
笑顔で過ごす
どちらも山の湧き水の冷たくて美味しい水を使って豆腐をつくっていました。
- その一方のお店の奥さんはとてもニコニコしていて、もう一方のお店の奥さんはとても不機嫌でした。ニコニコした奥さんがいる豆腐屋さんは、朝9時半には「ありがとうございます。本日の分は全部売り切れました」という看板がかかって、既に閉まっていた。
- もう一軒の不機嫌な奥さんのいるお店は、まだ開いている状態で、豆腐もだいぶ残っているようでした。
同じ水を使い、同じ材料を使って同じようにつくっていても、怖い顔をしているところと、にこやかなところでは、売れ行きが違ってくるようです。
▼笑顔でいることで、たくさんの恩恵を受けられる
- 豆腐屋さんが二軒あった。その一方のニコニコした奥さんがいる豆腐屋さんは、朝9時半には売り切れの看板がかかって、既に閉まっていた。もう一軒には不機嫌な奥さんがいて、そのお店は、まだ豆腐もだいぶ残っているよう。
- 同じ水を使い、同じ材料を使って同じようにつくっていても、怖い顔をしているところと、にこやかなところでは、売れ行きが違う。笑顔でいることで、たくさんの恩恵を受けられる。笑顔で過ごすこと。
すべての存在が自分の味方だと思う
- ここ10年の間に何十人かの人がです。
その人達に共通していたのは、がんになってから「ありがとう」と感謝をしたことでした。
ところが、本人が「ありがとう」とずっと言って、穏やかに過ごしていたにもかかわらず、 余命3ヶ月のまま、亡くなっていった人もいます。
その人たちの共通項は、家族にとても心配性の人がいるということでした。口にする言葉が、全部否定する言葉ばかりなのです。何でも「ダメダメ」、そして「もっと体が悪くなったらどうするの?」と否定的な言葉を浴びせかけていると、本人が「ありがとう」と言ってニコニコと穏やかにしていても、体がめげてくるようです。
宇宙全部に感謝をすることを「受け入れる」といいます。
- 宇宙と自分が別物ではないのだと思ったところから、宇宙が味方を始めます。
周りの人が全部、喜びと幸せの周波数、波動になってしまったら、その中で、「幸せ」音叉(おんさ)に囲まれることになります。音叉(おんさ)とはU字形の鋼棒(はがねぼう)の中央突端(とったん)に柄(え)をつけたもののことです。 - 「幸せ」という振動の中にいたならば、自分自身も、ものすごい勢いで響き始めます。
自分が一人で音叉(おんさ)を鳴らすだけでなく、周りの人たちにも、幸せの音叉(おんさ)になってもらえます。それは、自分が常日頃、喜ばれるように生きることです。そうして、その幸せな人たちに囲まれたら、自分も元気に楽しく幸せに生きられます。
そのように自分が投げかけたことの結果として、いちばん幸せを味わうのは自分自身でもあります。
▼世の中の全てが、あなたの味方であるということを意識していく
- 「幸せ」という振動の中にいたならば、自分自身も、ものすごい勢いで響き始める。 自分が一人で音叉(おんさ)を鳴らすだけでなく、周りの人たちにも、幸せの音叉(おんさ)になってもらうことができる。それは、自分が常日頃、喜ばれるように生きること。
- そうして、その幸せな人たちに囲まれたら、自分も元気に楽しく幸せに生きられる。そのように自分が投げかけたことの結果として、いちばん幸せを味わうのは自分自身でもある。世の中の全てがあなたの味方であるということを意識していく。
「楽しくて幸せな人生だったな」と、感謝できるよう、前向きに生きる
最終的に棺桶(かんおけ)に横になったときに、「ああ、いい人生だったな。 楽しくて幸せな人生だったな」と感謝して死ねるか?これが人生のテーマです。
人生で起きるいろいろな現象に、良いことや悪いことはないです。そのとらえ方の訓練を、僕たちは、生まれ変わりの回数を重ねるにしたがってやっています。
- 何をやってもうまくいくような状況で生まれてきます。
両親が揃って人格者であり、 兄弟もとても優しい人で、周りは皆いい人で…というように、楽しくて幸せな状況です。 - それにもかかわらず、口から出てくる言葉が不平・不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、で一生を終える。というのが、人間としての初期のレベルです。 人格レベルと、生まれ変わりがいちばん少ない段階です。
- 誰が見ても恵まれていない状況になります。たとえば、親が若いうちに離婚してしまう。結婚した相手が借金をつくって急に失踪してしまい、自分がその借金を返さなければいけない。というようなことなどです。
- そこで愚痴や泣き言を言わないで、「そのこと自体が、実はうれしくて楽しくて幸せでありがたいことだったのですよね。」と言えるようになるレベルが最終段階です。
全部、自分が生まれる前にトッピングをしたものだから、三次元的にものすごく恵まれている人が生まれ変わりが多いのではないです。いろんなハードな条件をたくさん与えられれば与えられるほど、成長していくことになります。ですから、問題のない人はいません。
8万回の人は8万回なりの問題があります。例えていうなら、8万回の人は背中に80キロの荷物を背負って山道を登っていく、と思ってください。8万5000回の人は85キロの荷物、9万4000回の人は94キロの荷物です。
それなりに人生が重たくなります。
それは大変だ、と思う方もいるかと思います。でも、逆にいうと、そのときまでに、「一回の人生ごとに、不幸や悲劇は存在しない、そう思う心があるだけだ」という心をつくり上げて、人生を全うする、ということです。
だから、心のとらえ方の問題を早く確立しておくと楽になります。
そうして歩いていきながら周りを見ると、同じように94キロ、95キロの荷物を背負っている人がいるはずです。私たちは皆、同じように共に歩いています。
▼最終的に感謝して死ねるか?これが人生のテーマ
- 最終的に感謝して死ねるか?これが人生のテーマ。人生で起きるいろいろな現象に、良いことや悪いことはない。
- そのとらえ方の訓練を、僕たちは、生まれ変わりの回数を重ねるにしたがってやっている。いろんなハードな条件をたくさん与えられれば与えられるほど、成長していくことになる。そのため、どんな状況でも「ああ、いい人生だったな。 楽しくて幸せな人生だったな」と感謝して人生を終えられるよう、前向きに生きていくこと。
まとめ
【『幸せな人は知っている 「人生を楽しむ」ための30法則』
小林正観(こばやしせいかん)】
- 自分が心地良い生き方をする
- 人生の前半は求め、後半は執着を捨てる
- 肯定的な明るい言葉を使う
- 目の前のことを大事にする
- 幸せは、自分が決める
- 笑顔で過ごす
- すべての存在が全部自分の味方だと思う
- 「楽しくて幸せな人生だったな」と、感謝できるよう、前向きに生きる
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