こんにちは、あっきーです!
「イエスの言葉」というこの本は、信仰の本ではありません。キリスト教の本でもありません。
しかし、イエスという一人の男が口にした言葉を書いてあるだけです。もちろんその言葉の一部は、キリスト教は聖典と認める新約聖書に記されています。
この本はそれ超訳したものです。今回はこの本から27個の言葉をご紹介します。
このブログを見て、本の続きが気になったり勉強になった、もっと知りたいと思った人はコメントください。
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Contents
「明日のことは心配するな」
明日はどうなるのだろうか?などとくよくよ考えてはいけません。明日のことをあれこれ考えるのはさらに悩みを増やします。
今日は今日で精いっぱいのことをしたのだから、自分の1日の働きに満足しましょう。今日も自分なりに生きたのです。
「お金や物で本当に豊かになれるのか」
どん欲はどこから来るのでしょう。それはお金や物をたくさん集めるほど自分が豊かになったように感じるからです。しかし、よく考えましょう。
より多くのお金や物がその人を本当に豊かにするでしょうか?事情を知らない他人がその人を見てこの人自身の豊さをすぐ察知できるでしょうか?
「お金の誘惑に負けるな」
お金は万能感をもたらしはしますが、実際には万能ではありません。
一度に1足以上の靴を履けますか?自分の腹の大きさ以上に食べれるのですか?自分の能力が動物以上に高くなるのですか?チャンスのすべてが手にできるのですか?
そんなことはありません。お金で得られるのは価格と時間制限がある享楽のたったいくつかだけです。真の喜びは買うことができない。
「ほしいものをあきらめるな」
どうしても欲しいのなら、その気持ちをはっきりとあらわさなければいけません。そして、最も肝心なのは、決してあきらめないことです。少しでも可能性があれば渾身の力で手を伸ばし、指をかけて手前へと引き寄せることをしなくてはいけません。
「罪の記憶が人を罪の奴隷にする」
あなたは、過去に起こした罪のことをたまに思い出していると思います。
昔のことなんだからもう時効だと思ったりするが、君の心からはまだ消えていないでずっと残り続けているのでしょう。それが、罪の怖いところです。記憶から消えないことによっていつまでも人を罪の奴隷にしてしまいます。
さらには、その罪があることによって「どうせ自分という人間は」という自己卑下の考え方をしてしまいやすいのです。それはまさに奴隷のようです。
「行動せよ」
人間として、何をすべきか知っていながらいつまでも手をこまねいている人たちには吐き気がします。
眼前で悪が行われているのに見て見ぬふりをするのは、同じ悪に手を染めているのと同じです。善悪を知っているだけでなんの意味があるでしょう。
実行しなければいけません。そうしてこそ世界は変わりうる。その前に自分が変わりうるのです。
「言葉はその人間をはっきりと示す」
思いと心に満ちたものは、やがて外へとあふれ出てきます。それは何か、言葉です。だから、ひどいことを言う人はひどい人なのです。
悪い実をつける木が悪いとされるのと同じことです。人間にとってその実とは、言葉です。何をどのように言うかによって、その人がどういう人間なのか、はっきりとわかるのです。
「悪は悪を呼ぶ」
ひどいことを言い続けていると、その周りには同じようにひどいことを口にし、残忍なことをする人々がすぐに集まってきます。
そして、悪はさらに色濃く広がっていくばかりです。
「富を独占するな」
多くの財産を蓄えた金持ちが考えた。「この富を利用しよう。そして、さらに多くの富に増やしてやろう」そして、富を倍加する方法を思いついたその夜に、彼は死んでしましました。
死んだから愚かなのではなく、富を自分のためだけに増やすことに専念したから、愚かなのです。
富を有効に活用し、自分のためではなく人々のために生きなさい。
「準備が安心を生む」
どんなことにおいても、十分すぎるほどに準備しておきなさい。まだその時じゃないから明日からでも間に合うと君は根拠なく思っているが、その時がいつやってくるかは、決してわかりません。だから、もう準備を済ませておきなさい。
準備こそ、その場で取り繕いの賢さより勝る、そして、君自身を安心させるのです。
「今すぐ仲直りをしなさい」
祭壇に、供え物を捧げ、自分自身に都合のいいことばかり祈ってどうするのです。それだけのことで物事が急に変わるとでも思っているのですか。
なすべきことは、敬虔なふりしての神頼みではありません。
今すぐ腰を上げ、ずっと仲たがいしてきた兄弟のところへ行って何とかわだかまりを解くのです。打ち解け、頭をたれて謝り、握手をしなさい。兄弟の手もあたたかいことを感じなさい。
「君が愛すべきなのは、君が好きな好きな人だけじゃない。」
自分が愛すべき隣人とはいったい誰のことですかと、君は今さら私に訊くのですか。隣人とは君が好んでる人だけではない。
隣人とは、君にかかわってくれているすべての人のことです。
できるだけ彼らに親切にしなさい。親友のようにやさしくしなさい。何があっても攻めてはならない。さらには隣人以外の人々にも同じように親切にしなさい。
「約束は絶対に守れ」
いったん約束しておきながら、当日になって自分の気分やつごう、損得計算、怠け癖などで約束を果たさないようなことは絶対にしてはいけません。
途中で思い直してでも、多少遅れてでも約束は絶対守りなさい。たった一つの約束でも、そこに自分のすべてが賭けられている言っても構わない。
君が約束してどういう対応を取るか、そのことを相手はずっと忘れないものです。
「生きるということは、他者と関わることだ」
生きるということは、必ず他者と関わることです。自分と違う考え方をするものと関わることです。そして、語り、思い行動することです。
闇、怒り、戦い、汗を流し、笑い、嘆き、生活の中であらゆる感情を味わうことです。
そういう一日の中で一体君は何を芯にして生きているのか。何を君の判断の軸にしているのか。それが、問題は日々のパンじゃないはずです。
「リーダーこそ奴隷であれ」
人の上に立つ地位にある人は、またリーダーであろうとするものは、かえって誰よりもへりくだりみんなに使える親切な奴隷でなければいけません。
指導者もそうです。自分に合わせようとして下のものを強く引っ張るのではなく、その都度手を貸し、押してあげるようにしなくてはいけません。
「自分を最も生かす一本の道を行け」
欲を張ったとしても、君はそのうちの一つしか表現できません。しかも、自分が精魂込めて携わってきたことのみ実現できる。欲が強すぎるため、この当たり前のことを知らない人があまりに多すぎるのです。
ひとりで二頭の馬に乗り、二つの弓を引くことができますか?それと同じことです。だから、欲張らず自分なりの素質と力量を最も生かす一本の道を行きなさい。
「パンがありさえすれば、生きていけるのか」
パンがありさえすれば、人は生きていけるのでしょうか?パンを買うお金があれば、生きていくのに十分なのでしょうか?人間とはそれだけの存在なのでしょうか?食べていければそれでいいのでしょうか?
まさか、そうではないでしょう。では何でしょう?あなたが生きるために必要なものは何でしょうか?
「狭い道を行け」
困難を選びなさい。楽に見えるほうを選ぶな。狭い道を行きなさい。あまりに孤独で泣けてきたとしても、急峻な峰を目指しなさい。
暗くて、細くて、寒くて、辛すぎる道を選びなさい。
「素直にまっすぐ生きてみよ」
素直に生きてみなさい、計算高くなく、欲得をせず、人としてまっすぐに生きてみなさい。その生き方は輝きます。
見渡してみよ、多くの人が演技している。地位、肩書、利益を求めてあくせくし、こびへつらい、誰もいなくなれば陰口をたたき、見栄を張り、ごまかし、威張り、自分は有能だと見せかけるのに必死です。
そういう人々の中にいなが一点も染まらず、君だけは素直に、まっすぐ生きてみなさい。消えぬ光になれ、どんな影にも遮られない強い光そのものになりなさい。
「鳩のような素直さと、蛇のような知恵を身につけよ」
鳩のような素直な生き方をしなさい。しかし、愚かであってはなりません。
素直でありながらも蛇をもしのぐ知恵を身に着けていなさい。そうしないと、この世を渡ることが難しくなります。
「胸の内に天国が広がらないのは、自分が他人よりまだましと思っているからだ。」
君の胸の内に天国が広がらないと感じているのならば、君が心の内で自分は他人より、ずっとましな人間だと思っているからです。そのほかに、数々の悪をひそかに行っています。
しかも、そのことを少しも悔いていないし、別に法に違反しているわけではないし、たいしたことないとすら思っています。
また、誰かを恨み、あんな奴死ねばいいと時々考えています。さらには、この世では金がなければ首がないのと同然だと考えているし、明らかに貧しく見える人たちや病弱そう見える老人たちを軽蔑しています。
そんなひとの胸に、平安に満たされた天国が広がるとは、君自身も思わないでしょう。
「教師を信じてはいけない」
教師は、いかにもヴェテランぶって、専門の知識に詳しいかのように話すでしょう。そして、教師たちは注意したり、訓練したりもします。
しかし、彼らに教えられ、彼たち教師を信じたものは、やがて迷い、行き先を見失い、そしてどか落とし穴に落ちるでしょう。そして、その落とし穴では、無数の教師たちがとっくに命を落としている。
「貧しいものとは、自分自身を知らないもののことだ」
本当に貧しいものとは、お金や物が足りないもののことではない。自分自身を知らないものが貧困なのです。
なぜ、自分自身を知らないのでしょうか、いつも金や物に心を奪われて、自分がどういう人間か考えたこともないからです。
「幸せとは、愛すること」
あなたは、幸せという言葉の意味が分かっていないのかもしれません。
多分あなたは、多くの財を持ち、名誉もあり、友人に恵まれ、健康であることが幸せだと思っているのかもしれません。しかし、私はあなたにいいます。
幸せとは、人を愛することです。
「世間の目ばかり気にしているから大切な言葉が耳に入らない」
生きていくのに助けになるような、とても大切な言葉が話されているのに、聞こえないんですね。話された言葉の意味が少しもわかっていないのでしょう。理由ははっきりしています。普段から世間のことばかりだからです。
何をすれば、誰からどう見られるか、どんな商売すれば楽に儲かるのか。どうすれば得をするか、損をするか。そんな世間のことばかりにかまけているから、大切な言葉の大切な意味がわからなくなるのです。そのままだと、結局は自分の人生を捨てることになってしまいます。
「世間の価値観に従っているうちは、世間の苦しみから逃れられない」
私はこの世のものではありません。しかし、あなたはこの世のものです。
なぜ、君がこの世のものかというと、生きているからというわけではなく、世間で言われていることにそのまま従っているからです。
人真似ばっかりしていますし、世間が考えている価値観や善悪をおおむえ正しいと思っているからです。そして、自分だけが得をして、いつか有名人か大金持ちになりたいと思っているのも、この世の者の特徴です。
あなたがそういう風にこの世の者である限り、この世で多くの人たちが受けているのとまったく同じ悲しみと苦しみと死を味わうことになります。
「何が正しいのか、自分で考えてみよ」
多分、あなたは正しさということについて、自分で考えて見たことがないのだと思います。
君を養ってきた親やほかの偉そうな年配者が口にする正しさ、あるいは世間で言われている正しさが、本当の正しさというものなのだろうと思い込んでいるでしょう。
この世で定められた法律が正しさを決めているわけではありません。伝統や、因習の正しさというのも、その時代の人たちが勝手に決めた正しさでしかないのです。だから、あなた自身の独力で考えてみなさい。何が真の正しさかということを。
まとめ
解説は以上です。このブログで解説しきれなかった他の言葉も知りたい人は、本を読んでみてください。非常に大切なことなので3回以上読むことをおすすめします。今回の解説がタメになったという人はコメントください。
- 「明日のことは心配するな」
- 「お金や物で本当に豊かになれるのか」
- 「お金の誘惑に負けるな」
- 「ほしいものをあきらめるな」
- 「罪の記憶が人を積みの奴隷にする」
- 「行動せよ」
- 「言葉はその人間をはっきりと示す」
- 「悪は悪を呼ぶ」
- 「富を独占するな」
- 「準備が安心を生む」
- 「今すぐ仲直りをしなさい」
- 「君が愛すべきなのは、君が好きな好きな人だけじゃない。」
- 「約束は絶対に守れ」
- 「生きるということは、他者と関わることだ」
- 「リーダーこそ奴隷であれ」
- 「自分を最も生かす一本の道を行け」
- 「パンがありさえすれば、生きていけるのか」
- 「狭い道を行け」
- 「素直にまっすぐ生きてみよ」
- 「鳩のような素直さと、蛇のような知恵を身につけよ」
- 「胸の内に天国が広がらないのは、自分が他人よりまだましと思っているからだ。」
- 「教師を信じてはいけない」
- 「貧しいものとは、自分自身を知らないもののことだ」
- 「幸せとは、愛すること」
- 「世間の目ばかり気にしているから大切な言葉が耳に入らない」
- 「世間の価値観に従っているうちは、世間の苦しみから逃れられない」
- 「何が正しいのか、自分で考えてみよ」
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